<はじめに>
今回はダナンから2泊3日のダラット旅行に出かける事にした。
ダラットにはダラットパレスゴルフクラブがあり、驚く事にその開場は1922年だ。
そのベトナムゴルフ聖地を訪れ、ベトナムのゴルフの歴史を追う旅に出かけるためだ。
<ダラットに歴史について>
ゴルフ場歴史を語る上でダラットの歴史に触れる必要がある。
現在、ベトナム中南部の高原地帯にあるダラットは、「ベトナムの軽井沢」と呼ばれる避暑地で、カップルや友達同士の旅行先として定番です。
ダラットはベトナム中南部にあるラムドン省の省都で、ホーチミンから約300キロ離れた場所にある標高1,500mのラムヴィエン高原に位置しています。気温は20℃前後と1年中涼しい気候で、熱帯気候のベトナムの中でも理想的な立地条件にあります。
1881年 ラムヴィエン高原が発見 フランス人のPaul Neisがベトナム探検にて
1893年 気候は理想的だとしてリゾート開発を提案 フランス人医師のAlexandre Yersin
1899年、ヨーロッパのような景観のリゾートを造りたいと提案 インドシナ総督Paul Doumer
1900年 ダラット開発プロジェクトが始まり、多くの建築物が建ち道路も整備さた。
その噂は徐々に広まっていき、インドシナの「夏の首都」と称されるリゾート地として発展したのです。今ではベトナムの有名な観光スポットの一つとして知られています。
1900年代から40年以上にわたって、Dalatは、公共サービス、鉄道駅と鉄道、カジノ、映画館、ゴルフコース、ホテルなど、近代都市のすべてのインフラストラクチャを提供することによって急速に発展しました。
街はその快適さと洗練さですぐに人気を博し、最大3つの宮殿を所有していたベトナムの最後の皇帝であるバオダイを含む最も特権的なベトナムのクラスの目的地にもなりました。
普段ラウンドしていればあまり疑問に思わないかもしれないが、そのレイアウトには長い歴史が隠れている。
ダラットゴルフの歴史を主に当ゴルフ場のウェブサイトより年表にしてみた。
1922年 | Dalat Palace Hotelがフランス人をもてなす迎賓館として建てられたのが1922年、その時アウトの池の周りに6ホールがフランス人の造園家によって造られた。 |
1930年
代初頭 |
最後の皇帝バオダイはノルマンディーとパリの北にある町、サンリスとシャンティイでゴルフと出会い、本格的な、コースの建築を決定したとされる。
(クラブハウスと言うより小さな東屋は現在でも練習場の近くに残されている。) イギリス人の建築家を通してHarry Coltから図面を手にし9ホールに拡張された。 |
1939年 | NYのGOLF Review誌がボビージョーンズ等有識者を集めて初の世界TOP100コースランキングをしました。その時Ville de Delatは94位にランクされました。
当時のコース名Ville de Delat。記録では 9ホールコース 国名はまだ Indo-Chinaでした。 練習場の近く現在も東屋があり、当時はあそこがスターティングティーハウスだった。レンジがあの位置にあるのはそれが理由です。 ルーティングは17-18-1-2-3-4-5-6-7でした。 |
1945年 | ゴルフ場を放棄 バオダイ皇帝が香港に去ったため。 |
1954年 | ハック博士、ラングビアンパレスホテル(現在の名前はダラットパレスヘリテイジホテル)ディレクターのフェルディナンドドール(ラングビアンパレスホテルディレクター)と共にダラットゴルフクラブを復活
ホールごとに1つのスポンサーを集め、8人のスポンサーを見つけ、8ホールがあり、8番を2回ラウンドしたとされる。 8ホールコースは現在のクラブハウスからのスタートで、1-2-3-4-6-7-17-18だったとされる。 |
1960年
代半ば |
クラブハウスが拡張 東屋とは別に今のクラブハウスの場所に作られた?
ビリーキャスパー(1950年代半ばから70年代半ばまでのPGAツアーで活躍したプロゴルファー)のような有名なゴルファーがアメリカ軍を応援するためにやって来た。 *ベトナム戦争(1955年11月1日 – 1975年4月30日) ーベトナム戦争中、ダラットで米軍がゴルフをしていた? |
1975年 | 再び閉鎖 ベトナムの独立が1945年9月2日である。 |
1990年代初頭 | 最終的に18ホールのチャンピオンシップゴルフコースとなる。
DHLの共同創設者であるアメリカのラリーヒルブロムがゴルフクラブを復活させた。 |
1994年
〜 2012年 |
数百万ドルの修復プロジェクトが開始。
IMGが管轄を行い、今のコースになった。 当時、ラフにはRiviera CCと同じキクユーグラスを使用。これはバック9の単調なレイアウトを隠す効果を発揮していました。現在それが全てなくなったのは残念。 |
現在 | 8ホール、7,009ヤード、パー72。
東南アジアでは珍しいベントグラスグリーンで風格のある松の木を通してダラットの山岳地帯に巧みに作られ、自然に挑戦的なゴルフ環境を作り出しています。 |